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2008年4月

2008年4月30日 (水)

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2008年4月28日 (月)

改めて…受けとめて…

メモ引用

ただ 4月28日 2008/04/28 21:39

酒を飲むと、痛さが忘れられる。

最初、痛いから飲む気にならんが、その先に、痛さを忘れられるなら、、人は、痛さを我慢してでも、飲むかも

もしかして、忘れる位、じゃなく完全に痛さを消せるなら 麻薬もするかも

それは 痛さとの付き合い方だ

消えるようなら、俺もするかも

痛さとの付き合い

一人のとき、どれだけ、自立出来るか

自立してたら、気持ちいい
(人はつい、一人の時、本音が出て、なにかに頼り切ってしまうかもしれない。しかし、それは本当に、幸せなことなのか?)

が、それ(自立・自制)は、(瞬間の快楽の誘惑を乗り越えた)先に感じるもの@

後から、思い返して「あ、オレ、あの瞬間、危なかったけど、○○に溺れてない。乗り越えれた」って思い返して、ホッとするもの。

刹那では快楽に、落ちると思う

だって今、おでん屋でビール2杯飲んだのに、更に、ラーメン食おうと、欲望が燃えている

だが、いいのかもね
他愛もない、毒にならない「欲望」に、すり替え出来るってのは、心を抑圧してない、心に余裕を持ってるて、こと

例えば「自殺」とか「他人を襲う」とかいう、取り返しのつかない「欲望」に走るより、その声を自らの声として聞きつつも、「アホか」と思って、「喰ったら太るぞ」ラーメンを、欲望に負けて喰っちゃう方が。

酔っぱらってメモしてるからかなり支離滅裂。

最後の部分、人には「破滅願望」が備わっている。それが外に向くか、うちに向くか、時として「リセット」したい、今の現実を消したい!と思うとき、刹那、その願望が現れる、現れたとき、どう対処するか、である。
魔が差さないと良いね。

2008年4月26日 (土)

歓送迎会2

25日、金曜日も歓送迎会だった。
ふむふむ。そーいえば先人の方の手術日が今日だったなぁ~と思いつつ、飲んでた。

んで帰ってきて、とりあえず「きえた」のブログを投稿。
ともかくも、なんか、書いとこうと。

きえた

おりょ 昨日、それなりに書いた文章が消えてるぞ!

こりはこまった。

まぁいいや。 

かんがえてみませう。

2008年4月24日 (木)

興奮の夜が明けて

メモ引用

日記 4月24日 2008/04/24 9:33

どうやら 部類としては かな~り
やヴァい感じ

一夜明けて、けっこう ズドンときてる
あんだけ「後縦靱帯骨化症」ぢゃない!と思ってたのに、おいおいやっぱり難病だった。

昨夜は、それでも興奮してて、血気盛んなことメモしてたが、一夜明けて、しかもブログも消えてしまってて、やっぱり、、、あいたたた!と思った。

んでブログが消えてるのが分かったのは、昼休み。携帯からブログ見たら、消えてた。
とほほほ^^;

2008年4月23日 (水)

書いてみる。

かくも長き一日だった。

んで、ともかくブログを書いてみた。が、やっぱり動揺してたんだろうなぁ。保存を押さずに消してしまっていた。

それが「きえた」の実態。

いろんなものがきえたのね

無題

メモ引用

 無題 4月23日 2008/04/23 22:01

ここまで痛くて、でも、


「気持ちよく」

生きれたら

ホント 気持ちいい

自分が


認められたら
自分に 自分で

誉めてげられたら

それだけで

良い

痛くても、病状が大変であろうとも、それでも投げやりにならず、自分を大切に、出来たら、一日いちにち、大切に生きて行けたら、明日につなげられたら、その日の夜は、自分を誉めて、一日に感謝して、次の日に挑める。
そうやって刻んでいこう。一日、一日、ああ、本日もどうにか、終わりそうです。よかったって。

そして

そして、その日はチームの歓送迎会だった。

仕事を終え、診断を聞きに病院に行き、聞いて、んで歓送迎会にかけつけた。

それなりに飲んだ。

子供が3人来てた。笑顔がいいね。

急転直下

メモ引用

まるで妊婦のように 4月23日 2008/04/23 19:08

まるで妊婦のように

気をつけ始める

それは後縦靱帯骨化症の注意することが

中には軽い外傷、たとえば転倒して特に頭等強く打たなくても急に手足が動かしづらくなったり、いままでの症状が強くなったりします。
他にも散髪屋でひげを剃るときなど気をつけた方が良い等々。

と、あるからだ。婦人が「妊娠」を告げられ、急に妊婦になるのと、同じだ。

これからは後頭部から首にかけてショックを与えないことだ。
万が一、あたったら、、そこで終わりである。

メモ引用

恐怖 2008/04/23 19:10

自制出来ない欲望こそ恐怖

ここでは、欲望と書いているが、必要以上の恐怖、その恐怖で我を忘れたとき(自制できないとき)大きな失敗をする。
それが取り返しのつかないことに繋がる。自制せよ!生き延びろ!って意味。
自分に言い聞かせてる。

メモ引用

恐怖2 2008/04/23 19:13

不確か 曖昧もこ
が恐怖

だから、いくら絶望的な事実だろうと
明らかになった方が安心する
落ち着く

正面向いて戦えるから

不確か、曖昧だと、そこに「想像」という「恐怖」が芽生える。
その恐怖は、とたんに巨大化し、疑心やら攻撃やら不安に繋がる。
結果、取り返しのつかないことになる。

だからこそ、いくら絶望的な冷たい事実、現実だろうと、全てを見つめる、辛いことだろうとも、全てを見つめ、対策を考える。その方が、戦える。正面向いて。

逃げるな!戦え!戦え!目をそらすな!

消えた!

26日の零時29分 投稿ブログ「きえた」を書いている。まぁ25日の深夜だ。

23日の日の夜、検査結果のことを書いたつもりが、ちゃんと保存できず、消してしまっていた。んで、再度、それを書く気にもなれず、そのまんまにしてたんだな。

ってことで、もう一度、その気を振り絞って書いてみる。


本来なら「死とは別のにおい」の続きを書かないといけないのだが、私の時間もどんどん進んでいる。「死とは…」は2日辺りの話で、、だから近頃はやりの「仮面ライダーキバ」にならって、僕のブログも「現代編」と「過去編」にしよう。
で、本日は「現代編」…いずれ近いうちに「過去編」の続き…「死とは…」も書く気。

で、診察室に入ってドクターが言った。
「どうですか?痛みは」

ははーん、これは「CTの検査結果」が良かったんだな。で、その上で「痛みを聞いてるな」と邪推。

「まぁ、慣れたんですかね。痛みますけど、前ほどには…で、よかったんでしょ。結果」
「は?いえ、まだ見てませんが」

なんだ!おいおい!と思う。が、顔にはそんなそぶりも見せず。

「では、さっそく見てみましょう」
「はいはい」

で、先生固まった!
「お、おー!こ、これは!」「うーん!」

なんだ、ほら、後縦靱帯骨化症じゃないんで、驚いてるんだな。
知ってたよ実は。市立病院で見てもらってるしさ。
まぁ、ここでは、最初のレントゲンしか、データ無いもんね。

「うーん、ちょっと…ちょっとまってね」
急に興奮し出す先生。

そんで、オレがいるにも関わらず、電話を始める。
「はい、そう、ちょっと呼び出してもらえる?」

なんだ?なんだ?

「ええ、はい。…………あ、すいません。はい、遅くすいません。実は、はい。で、可能かどうか、ちょっと確認してもらえますか」

で、先生、オレに聞く。「手術して、何年?」

たしか7年かな?答えると、

電話に「7年前辺りと言っています。はい、可能ですかね?うん」

ヒートアップする会話。

おいおい、なんだ、この置いてけぼり状態は。
「分かりました。はい」

ってことで電話終わり。
「ちょっとMRIをしてみようと思って」

「ん?」
「いや、かなり綺麗に『出てるんですよ』」

で、ナナオのモニタ(この前は、こんなん無かったぞ)に映し出される絵。
フィルタがかかると、、

「ほら、ここ、ここ、かなり出っ張ってて。見えます?」

言われてみると、見える。突起物

「こりゃ、かなり食い込んでる。そーとー痛いでしょ」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・ーー;;;

いや、だからさ、最初っから、口酸っぱくして、言ってるでしょ。痛いって。
オレがジタバタ地団駄踏んで「しぇんしぇ~痛い~痛い~ひーひー たしけてぇ~」って叫ばないと、痛さは、伝わらんのか?

「え?食い込んでる?」
「はい。かなり深く、これは」

おいおいおいおい、後縦靱帯骨化症ぢゃ、ないんだよねぇ?オレ

「いえ、完全な後縦靱帯骨化症ですよ」

ガチョーン!^^; おーい!おーい!おーい!市立病院!! おーい!


かなり落ち込みつつも、それはそれで、平静を装い…聞く。

「食い込んでる?のであれば、後遺症とか、残るんですか?」
「いや、なんていうか、押されているわけで…」

「その押さえを、取り除いた場合、靱帯は元に戻って、時間はかかるけど、元に戻っていくのですか?」
「そうです。その通りです」

私の「冷静なる態度」が良かったのだろう。
完全に「医療オタク」なしゃべり方で、ドクターは当事者本人に対して「医学的学術的説明」に、没頭した。

「で、MRIを撮るわけですね」(医学的話を、変えるために、口火を切る)
「はい、そうです」

「でも、難しいと…」
「完全な確認は出来ませんでしたが、6年も経ってたら、まず、大丈夫だろうと…」
「はぁ」

ということで、MRIを撮ることに、そして晴れて難病者「後縦靱帯骨化症」となった。

「MRI、でも、磁力かけるわけですから、ピンが飛んでしまったら、そのまま死んでしまいますからね」って、笑顔で言うなよ!医者が!しかも当事者に。

まぁ、そんな感じで、若干、辟易しつつ、インフォームド・コンセントってのは、こういうことか?とか考えながらも、診察室を出た。
(すいません。かなり辛口ですね。ごめんなさい、ごめんなさい)

夜更かし

なかなか寝付かれず、ブログを投稿後もウダウダと興奮してた。
で、メモ書き

メモ引用

日常 4月23日 2008/04/23 1:16

無理かと思ってた日常が
痛さ は、有るものの、
なんとか 乗り越えれるように

なってきた。

もちろん 痛い が

それでも 痛さ への 付き合い方 が 分かって きたのか

○○さんの話(手術受ける先人の人ね。)
よくよく聞くと
手術は 「勧められる」ものであって

前のようには、
生きる か 死ぬか では、ないらしい。

痛さに 慣れてきた。
これなら このままの 痛さ ならば 耐えていける
今の時点なら しかし、積もっていったとき、どうなるか?

痛さが、変わらないとは、誰が保障してくれる。
麻薬に手を


また手術が上手く行かないこともある。

さてはて、どう判断するべきか

どう判断するか

全ては、自分で決めて行かなければ

未来は見えないが、どうすべきなのか。本日の判定で、新しい展開があるのでわ?
後縦靱帯骨化症ではないと思うが、では、この続く痛みはなんなのか?やっぱり後縦靱帯骨化症ではないのか?
新しい病気なのか?痛さは続くのか?

メモ引用

今回こそ本番 4月23日 2008/04/23 1:18
もしや 今回こそ、本番で 前回の手術は、このための試金石だった?と、も

思ってた。

これはかなり最初に思っていた。
そして、やはり、ここが引っかかる。前の心臓の手術が、前座に思えてきた。

メモ引用

悔しさ 4月23日 2008/04/23 1:20

痛さに負けて 失っていく 強さ

が 怖くて悔しかった

痛さを元にキャラクタを作ってみる。
実際、これまでどうにか、毎日、痛みに勝ってきてるが、今後も、勝てる保証はない。
負けたとき、どうなのか。

メモ引用

解説 失ってく強さとは 2008/04/23 1:46
失ってく強さとは

老いと同じ
出来る 手の内にあったものが、今はもうない。
喪失感

失った……ことに、気づけたら、、
気付かないことの方が、更に怖いが


『失う』ってことに、かなり敏感に(ナーバスってほどではないが)なっている。

メモ引用

刹那主義とは違う 4月23日 2008/04/23 2:02

明日はどうなるか、分からん
からこそ
今日を、たっぷりと愉しく生きておかないと、

明日も、良い日になって!
という願いに繋がらない
希望が、膨らまない

だから今日、良かったと感謝しましょう

すると 良いことが

やはり 思った通りになるなぁ

日々を大切にしてきたからこそ、

先人の例とか、
 涙されたとか、

いろいろと、普通では経験できないことが出来たと思う。
そう思うと、この出来事が起きて、良かった…とさえ思えてきてた。

ともかくも、興奮して、夜中の二時まで、メモしてた。

投稿ブログ「閑話休題^^;」を評す

言いたいことは、その通りだが、なぜ、この日、この時間に書いているかって言えば、その日がCT検査の結果発表だからである。
かなりウキウキしてるのがわかる。だって書いてるの、夜中の零時だぜ!

閑話開始^^;

ってことで^^; 内容が内容なだけにねぇ

 ここで書いてるのは、4月頭の頃の話で。

  今はすでに4月も下旬でして。

それなりに進展やら気分変化やら、あるわけで^^;

どうにかやっと、そこ辺りも含めて『書く気』になったので書き出してる感じです。

で、今はかなーり元気です。いろいろと面白いことがあったので。
で、ホントはその「面白いこと」を、どう、書くかなぁ~ってのが、僕の今回の課題です。

で、その「面白いこと」を書くには、メリハリの「メリ」の部分、底辺りの部分を書かないと、イカンなぁってことで。

そんな感じで、こちらを覗いてる奇特な方は、もう少々、メリな部分に、おつきあいください。

ホントなら、一気に書き上げて、一気にアップした方が良いんでしょうけど、どうも、、それだと、途中で投げ出してしまいそうなんで^^;

コツコツ書いてけば、良いかなぁ~と。

ま、そんなとこです。はい^^;;

23日 判決の日 CT検査結果発表の日

ついに解放される日がやってきた!^^ 本日の診察で 全てがはっきり分かる!

 いや、すでに「後縦靱帯骨化症」ぢゃないって、市立病院の先生からは言われてるんだけどね^^;

2008年4月21日 (月)

投稿ブログ「死とは別のにおい」を評す

この「死とは別のにおい」は、この病気で感じた一番大きなところだ。この「思い」を、書くことこそ、今回の経験の、大きな山場であった。

さて、どう、書こうか、書かないといけない!と思いつつも、なかなか書けず、頭の中で渦巻くばかり、えーい、どうしたものか!ともかく書こう!と思った。

が、気持ちばかり先走って、結局、入り口しか書けなかった。
すぐに続きを書こうと、、「つづき」とつけて、ひとまず逃げを打った。

  スグに書くつもりだった。しかし、それが、書けなかった。

それは、、やはり、テーマが重かったのと、自分の心の奥底を、しっかりと見つめられてなかった、ニュアンス、雰囲気で感じただけで、文字として、しっかり認識するまで、自分の心を覗き込んでなかったんだなぁ。 と、今になって思う。

死とは別のにおい

とにかく書いてみる。

一番最初に「難病」ってのを読んだとき、すこしおかしくなった。クククと笑ってしまった。

『いやはや、本当に世話の焼ける体だ。やっぱり、この体は、世の中に出てくるだけで精一杯だったんかしら?そりゃ仕方ないよなぁ』

実は誕生前から、なにかと順風満帆なことはなかった。私の前はダメで、私の番になったのだが、それもまたダメっぽかったそうだ。
が、そのとき、さることが起こり、一方が消え、私が出ることになった。(ま、ここ辺りはまた別の話)

そして心臓の…毛を剃る…手術^^;

近頃、どうにか「健康でお酒がおいしい日々」を暮らしつつ、昨年頭から「シナリオ書けてないなぁ」状態で
でも、なにかと人生において「やっと、物事が分かり」かけてきたこの頃。

『またもや死に近づいたなぁ。そういや、ちょうど一年前も、検査に引っかかって、再検査を続けて、死に近づいたなぁ』

「死」については、ちょくちょく考える。
一度、毛を剃る手術なんてしてると「死」ってのが身近で、リアルで、だもんで、たぶん、普通の人に比べたら、そう怖くない。
一度、その淵から覗き込んだことがある。だから、漠然とだが「死とは、なんなのか」が、未経験者よりは、分かっているつもり。

しかし、ちょいちょい1年ごとに「再検査」やら「原因不明の高熱」などが起き、日々の日程の中で、このままだと「死」かしら?  ってことになると、急に怖くなる。
まだそこの底まで^^;降りたことがないからだ。(片道キップだしね)

さて、今回も、、怖なった。
しかし、それはいつもの怖さとはちと違った。なんとも言えない『敗北感』……敗北感なんていうと、非常に問題があるのだが、そんな感じがした。
違う言い方を考えてみると…脱落感。

それは、後縦靱帯骨化症の説明の、以下の文章からだった。


症状が重度になると、日常生活にかなり障害がでてきます。介助を要することもあります。一般に脊髄神経症状は慢性進行性です。また軽微な外力で四肢麻痺になることがありますのでその存在を知っておく必要があります。

難病情報センター|後縦靭帯骨化症(OPLL) 特定疾患情報

「死」は、怖くなかった。日程に上らなければ。しかし・・・

 つづく

2008年4月20日 (日)

投稿ブログ「第二章へのプロローグ」を評す

さて、どう書いたものか?と思い、ザックり本題が分かるように?^^;山場から書いてみた。読んでる方に、うまく伝わったのかな?
そして「死とは別のにおい」へ

第二章へのプロローグ

目の前の白衣の人からこういわれた
『まだ、手術の段階ではないです』

おれ「ん?手術??」


痛いなぁ~痛いなぁ~と思ってて
ただ、シビレルだけなら何とか出来るが、たまにそのシビレの上に、ズキズキと痛みが走る。これが左腕の肘やら肩やら…プラスドライバーを突き立ててギリギリされてる感じ。
首の筋の痛みも、いつもなら2,3日で治まるのに、いっこうに収まらない。

そんなこんなで、さすがに辛くなって…ってか痛さに我慢できなくなり、ついに4月新年度なのにしょっぱなから会社を早引けして、病院へ行った。

『いわゆる、首の後ろ、脊髄と首の骨の間に、普通なら軟骨より柔らかい物があるんですがそれが、堅くなって、神経…脊髄を触ってる可能性があります』

「それって直るんですか?」

『うーん、まだわかりません。とりあえず無理な動かし方はやめて、お薬処方しておきますから、飲み続けてください』

「はあ」

『二週間分、出しておきますから。で、その間に痛みが治まったら、それはそれで良いと思いますので』

「治るってことですか?」

『ともかく 二週間 ですね。痛みが治まったら、こなくてもいいですから』

「はい……」

診察室を出て行こうとする俺

「あ、ありがとうございました。……ところで、病名的には、なんていうんですか?」

『こうじゅうじんたいこっかしょう といいます』

「こうじゅうじんたいこっかしょう…ですか」

○待合室
おれ、診察室から、そそくさと出ると、すぐさま尻ポッケにいつも入れてるメモ帳を取り出す。
そして走り書きする。
「こうじゅうじんたいこっかしょう」

そして、病院内なので、電源を切っていた携帯を取りだし、電源を入れる。

「はやく、立ち上がれよ!」

どうにか起動した携帯に、すばやく、丁寧に、うちこむ「こうじゅうじんたいこっかしょう」と。

さてはて「こうじゅうじんたいこっかしょう」とは

リンク越しに出てきた「後縦靱帯骨化症」という文字に、また、その前に出てきた文字に、少し目眩を覚えた。

それが4月2日

2008年4月19日 (土)

詩人

詩 4月19日 2008/04/19 21:43

メモ引用

人は
辛いこと 悲しいこと
を抱えた時

詩人になる

伝えたいから

そして
話すことで
放すことも出来る

ちょうど切通理作氏の「文庫版 怪獣使いと少年」を読んでたせいもあって、市川森一氏の言葉なぞを思い浮かべつつ、書いてみた。
そうだよな。この1年ほどシナリオ書けてなかった。それってやっぱり「テクニック」に悩んでたところもあるが「伝えたい物」を、思い描けてなかった、からだと思った。
このような経験が出来て、良かったな。と素直に思った。

そしてまずは、この経験を「文章」にしてみようと、ブログを書き始める。

2008年4月18日 (金)

王将会談

その夜、金曜日、同い年で会社の同僚?いや立場的には上司^^;の方と王将で飲むことに。

当初、その場で「実はわたしゃ、後縦靱帯骨化症ちゅー病気に・・・」ってカミングアウトする気だった。
しかし、一週間前のある日、こっそり痛がってる姿を目撃され、
 「どーしたの?」って聞かれちゃって、ついつい口を滑らせてた^^;

予定では7時過ぎから飲む予定だったが、その方の仕事が忙しくて、抜け出せず、
あたしは時間を潰すために久々に電気屋でひやかしたり・・・

しかし、やっぱり痛みが。
後縦靱帯骨化症じゃないと思うけど、でも、続くこの痛みは、やっぱり、なにかしら?
まぁそれも、本日やったCT検査で明らかになるだろう。うん。

とか思いつつ、待つ。

さて、話のネタは…先日、起きた驚くべき出来事。先人の話。あの人が後縦靱帯骨化症だったのよ!って話。
話したら、ホント、ビックリされた。
んで今までのオレの七転八倒ぶり^^; ゲラゲラ笑って酒を飲んだ。良い酒だった。

ときに「先人の話」は、同じチームの方にも話した。
あの泣いてくれた人も笑ってた。よかった!よかった!と言ってくれた。

うん、よかった!んだが、

     いくら二週間でできあがる!

っつっても、そう簡単な手術でもないんだよねぇ。

簡単に「良かった」なんて言っちゃうけど、死までは行かないが、それはそれで、大変だと思うんだよねぇ。

まぁ、そんなことが頭をよぎりながらも、楽しく、飲んだ。

投稿ブログ「そもそも、こーゆーのって決意っていうのか?」を評す

投稿ブログ「そもそも、こーゆーのって決意っていうのか?」
読んでみると、かなり調子づいてる^^;のが分かる。 もうウキウキだ。

んで、CT検査はあっという間に、ホント、5分くらいで終わった。
たったそれだけなら、わざわざ時間年休使わなくてもよかったなぁ~損したなぁ~ちぇ!と思ったりもした。

おはながながいのね

なぜか本日はふと『良い声』が聞きたくなり^^;

DVD鉄人28号 5


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を見る。
こちらに入ってる13話「光る物体」は、主役を矢島正明@カーク船長、説明役に麦人@ピカード船長という、トレッキーには涙ものの配役。
お話は、戦中、動物園で猛獣殺しをした飼育員が戦後…一度、ご覧くだされ。良い声に酔いしれ、お話にも惹かれますよ。

で、見終わった後、ふとテレビを見ると「奇跡体験!アンビリバボー」で「ぞう列車がやってきた」をやってた。つい見入っちゃったよ。

しかしだ。こういうシンクロってあるんだよなぁ~。

んでだ。話は急に「ドラえもん」だが^^;
 出来ることなら、新しいメンバーで、新しい「ぞうとおじさん」を作って欲しいなぁ。
いろいろとファンからは文句が出るだろうが、それでも「いー」話なんで、ちょっとくらい変わっても「いー」ぢゃん。

例えば「ぞうとおじ『いー』さん」とかさ^^;

とか思って調べたら、すでに出来てんのね^^;; 新メンバーで

ついでに旧メンバーの「ぞうとおじさん」

そもそも、こーゆーのって決意っていうのか?

〆切と言っても、まぁなんだ。それはひとえにひとがひとりできめたもの

えっと偏(ひとえ)に、人が一人で決めたもの^^;

単に、僕が、勝手に設定したもの…それが「〆切」な訳なんですけどね。

でも、結果が「〆切」としたら、それを僕が設定した…原因があるわけで。
その原因が、ある日、突然、やってきたわけで。あらビックリ!

えっと…なんだ。構成もなく書くと、前口上ばかり長くなるなぁ。これって駄目な文章の見本だなぁ

歳とってくると、思わせぶりな文章って面倒になるから、なのに見かけを考えたりしてね…

えいやー!もう面倒くさい!^^;一気に核心を書くしん! ^^;;

ってことで、3月末辺りから、どうも左手がしびれるなぁ~首も痛いなぁ~と思ってた次第なんですよ。
こりゃまた酒飲んで、酔って寝たから、寝違えたか!トホホと思ってたんですが…

 つづく^^; <おいおいーー;

夜が明ければ

CT検査の日、これで後縦靱帯骨化症じゃないって分かるんだぁ~。
そう思うと、これまでの18日間が長かったようでもあり、あっという間だった気がした。
で、夜が明ければCT検査の日の、真夜中に、ブログを更新してる。

2008年4月17日 (木)

!!!

その日、同じ会社で働いてる方から、こう言われた。
「実は4月末から、二週間ほど休むので、その間、ちょっとお願いしたいことが・・・」
ほいほい!と仕事を引き受けた。

で「どっか行かれるんですか?」
「いや、ちょっと入院するんで」

「大変ですね。入院ですか」
「うん。手術するの」

「へぇ~手術。どんな病気なんです?」
「いや、首の後ろの脊髄の部分に軟骨が硬くなって・・・」

ビビった!

「それって・・・こうじゅう・・・」
「そそ、後縦靱帯骨化症って言って・・・その手術をするんで・・・」

驚いた!ひょえー!

「え?しゅ、手術、するんですか?え?え?に、にしゅうかん??」
「うん。二週間」

「は?に、にしゅう・・・かんで・・・治る・・・え?出勤できるんですか?」
「うん。入院は10日くらいで、4,5日は自宅療養で」

「はぁ~・・・そ、そんなも、、もんで・・・え?もしかして・・・」
そうである。この方も透析で、私と同じ病院なのだ。
「うん。あの病院。実は1月末から右小指がしびれてね・・・」

驚いた。ホント。
ずっと同じ職場だったのに、まぁチームが違うとはいえ、同じ職場なのに、ちっとも気づかなかった。
言われてみれば3月30日の日曜出勤の日、力仕事はしてなかったな。

全然、痛がってる様子もなく、、ホント、わからんものだ。
痛みってホント 「本人が口に出さないと、しかも、痛がらないと」
  他人には伝わらないものだ。ビックリした。

いやいや、それ以上に

  なんだ!後縦靱帯骨化症って、今は二週間で治るものなのか!


おいおい、たしかネットでは

引用 3. この病気はどのような人に多いのですか

国内の一般外来を受診する成人の頚椎側面単純レ線写真からの調査では、1.5%から5.1%平均3%の発見頻度があります。

おいおい、うちの会社に至っては「これ5%って比率ぢゃねーぞ!」である。
もともと福祉の職場だから、男性の数はかなり少ない。その二人が(いや、オレは違うけどね)後縦靱帯骨化症だなんて!どんな比率やねん!

つーか、ネットの闘病記とか見ても、えらく「大変そう」だが、


     なんだ!その二週間ってのは。


おいおい、そーいや闘病記とかホームページでみると、えらく大変で、手術後もかなりリハビリとか苦労とか書いてあるけど・・・

   なんなんだ?二週間って、手軽さは

そういやそういうサイト、制作日がほとんど2003年とか4年とかだが

            たった3年くらいで、こんだけ医療は発達するのか?

そういや2004年辺りを境に、そういった「闘病記」って、新しい奴ないなぁ~と思ってたが、もしかして「闘病記」ってまで載せるほど、希有な病気じゃなくなってる!ってこと!?

    たった3,4年で!そこまで進むか!医療ってのは!どえりゃー驚いた-!

つーか、オレ、結構、考えてたのに。
この病気で、この会社を去る、最後のその日、僕は、こんなスピーチをして去るのだ。
「みなさん、体を大切にしてください。みなさんが、頑張ってくれるおかげで、僕みたいな、障害者の、未来も・・・」うっ!涙!

ビックリした。驚天動地だ!これはすごいぞ!
あひゃひゃひゃひゃ!

ホントだ、毎日、コツコツと過ごしてきたら、良いこと起きるなぁ。

しかし、ホント、痛さって、表に出ないなぁ~。伝わらんなぁ~。まさか、この人が。
そうか、オレは分かった気になりながら、全然、人を見れてないなぁ~人って複雑だなぁ~。そう思った。

追記
んで、病人が、他人に周りに迷惑をかけまくっても、生きるってのは、どーゆー役割があんだろ?って素朴に思ってた。これまで。いったいなんの役に立つの?と、素朴に。

けど、今回、感じた。

先人の病人の役割って 手術したり、治ったり、そんな人を見ると同じ病気の人も
「大丈夫!オレ」と思える。

病人の役割ってそういうところもあるんだな。と。

しかし、昨日まで深刻に手術をとらえてたけど、今日はもう気が抜けた。人間ってホント、現金な生き物だね。

 ってか、オレが げんきん なのか^^;

エポックメーキング

たしか、17日だったと思う。
今(6月16日 23:22)から思うと、とてもエポックメーキングなことなのだが、なぜかメモにも残していない。
それは「メモに残す必要がないほど衝撃的で記憶に残ること」だったからだろう。

また当時(4月17日辺り)は、市立病院での「後縦靱帯骨化症ではないらしい」で浮かれていたので、メモを取る気もなかったのだろう。

実は、こんなことがあった・・・つづく

2008年4月16日 (水)

投稿ブログ「タイトルを変えてみた」を評す

4月からの色々なこと、
最初の衝撃をうけての、ブログ名変更、

そして、思いがけない良い展開、
それを取りあえず纏めてみたい、
話すことで自分から放して、考えてみたい、そう思い、書き始めることとなった^^;

タイトルを変えてみた

ブログのタイトルを変えてみた。
気分を変えるわけでなく、気分が変えられたので。外的要因『〆切』によって^^;

では、これまでぐぅたらな生活をヘボく凡人てきに過ごしてきたのに、なして急に「〆切」を突きつけられたか?
人は、なんて手軽に、昨日までの「へぼへぼ凡人」な、幸せで刺激のない生活から
 今日からの「きりきり〆切人」な、ぎょっと驚く刺激的な、明日が見えなく、だからかえって刺すような『〆切』の日めくり的な生活になるか…

それはまた、次回気が向いたら、書こうっと! ←なんだ!結局、中身のへぼさは変わらんぢゃん!^^;

ということもあり、

けっこうウキウキワクワクした状態で「タイトルを変えてみた」を投稿した。

第二章へ

ということで初通院から二週間が経ってしまった。

「二週間して、痛みが無くなってたら、それで終わり」

だったが、ちゃんと二週間、痛みは続くよ。どこまでも。

うーみゅ、どういうこっちゃ。市立病院で「後縦靱帯骨化症ではない」と言われたのに、では、この引き続く痛みはいったい何なんだ?

先週は色々と忙しく(月初めやら母来襲やら)リハビリに結局、行けなかったが、さて、どうなんだ?

さっそく先生に言う
オラ「痛みが引きません。薬も効きません」
先生「この手の薬は、すぐに効くものでもありませんから」

あら、アッサリと言うのね。あのねー、けっこう平静を装ってるが、その実、かなり結構、痛いのぞよ!あんた、簡単に「すぐに効かない」とか言っちゃってくれるが・・・とか思いつつも

「ずっと痛みが続きます。少し、薬が効くのか、ちょっとは痛みに慣れましたが」
「そうですか。では、ちゃんと調べてみましょう」
ってことでMRIをすることに。

まぁ、これで完全に「後縦靱帯骨化症」でないと、断定されたら、よかっぺや!ふふん。でもこの痛みは・・・やっぱりリハビリが続くよ、どこまでもー!かな?とか思いつつ、検査の予約。

事前の説明書きに「ペースメーカーやら人工弁やらの人は・・・」とある。

「僕、人工弁、入れてますけど、これは大丈夫なんですよね?」
と取りあえず聞いておく。

ま、この病院で手術したんだし、そのことは言ってるから、大丈夫だよね!ふふん♪と思いつつも、とりあえず聞いてみた!ららら!!

「なに~!!☆それは・・・」ってことで即刻、中止。

「いや、人工弁って言っても、全部、セラミック製って聞いてますし」
「しかし、パーツがセラミックと言ってもですね、軸の部分が金属の場合、最悪、MRIは磁力をかけてみますので、飛んじゃうと、死んじゃうんですよ。その場で」
「え?そーなんですか?」
「ちょっと確かめないと・・・えーっと、いつ手術しました?」
「たしか、7年くらい前・・・ってか、この病院でしてますし、カルテあるでしょ!」

ってことで色々調べるも、さてはて私の左胸の中にある人工弁君の軸が、金属かどうか、わかりません。
ってことで、とりあえずMRIは中止して、CT検査となりました。

うーみゅ、前の手術してるってことで、この病院をメインにしてんのに、これは・・・思いやられるなぁ~とか思いつつ、ま、これで結果が出て、晴れて無罪放免になれば、リハビリの日々か、と、ウキウキした。
検査は金曜日、18日だ。 ありゃ、仕事、ちょい抜けしなきゃ!

2008年4月13日 (日)

希望

引用メモ

日々を丁寧に暮らしていけば 2008/04/13 21:27

絶望や失望しても

日々を丁寧に暮らしていけば

希望を無理に見い出したり
今の現状を無理に、受け止めなくても

一日一日が
少しずつ 僅かだが
変化していく

「こうしよう」と、努力することも大切だが、

『たった一日だけ』で判断してしまわず、長く日々を送って行って、ふと気付くことも

例えば、俺の左腕とこうじゅう靭帯骨化庄

よって、当初、難病と思い、すさまじく痛い思いをし、オレは寝たきりの障害者になって、辛い生活を送るのではないか?と思っていた。
が、どうも、そうでもない可能性が出てきた。
ホント、日々を丁寧に一日一日、暮らしてきたら、ヤケにならなかったから、この日を迎えれた。
最初は真っ暗だったが、光明が見えてきた。良かった。
しかし、痛みはまだある。この痛みは何なんだ?本当に。

2008年4月12日 (土)

母帰る

土曜日、母たちを見送る。ともあれ、終わった。良かった。

2008年4月11日 (金)

セカンド・オピニオン

母たちが来てる2日目。

前日は良い調子で酒を飲んだ。
けっこう大丈夫だった。気を張ってるせいか、それとも痛みが治まったのか?
ジンジンする痛みは続いてるが、激痛は減った。
というか、激痛が来る瞬間が分かった。そして、それを回避する方法も分かった。
ようは繰り返すと、学習するものである。

で、11日金曜日、お休みをもらった。
そして母には内緒で、市立病院へと行った。
チームの方が、色々と調べてくれて「市立病院」が「整形外科」では、かなり有名らしい。一度行ってみては?とのこと。
さっそく行ってみる。痛みは続いていた。うーん、やっぱり、痛いなぁ~。

で、一通りの診察後、レントゲンを撮る。上がったレントゲンを見ながら、その医者。
「見ようによっては、そう(後縦靱帯骨化症)見えるが、たぶん、違うのではないか?それ(後縦靱帯骨化症)にしては、首の幅が広すぎる」

驚いた。ありゃ!違ったか!良かった!ほっとした。

「MRIなどを撮らないと完全な診断は出来ないが、たぶん、違うでしょう」

なんだ!そうなのか!良かった!ともかくも、これも含めての「とりあえず二週間待て」ということなのか?そうなのか!?

ホッとした。良かった。一つの病院だけではダメでセカンドオピニオンというのが必要ってのは、こういうことだなぁと思った。
ともかくも、ホッとした、最悪の展開だけは避けられそうだ。
いやはや、良かった。うん、良い経験をした。

そうか、こういう状態にならないと、経験できなかったこと、あったよなぁ。いろいろ、おもったよなぁ。それも含めて、良かった、良い経験をした。

んで、その夜、母たちと先斗町へ飲みに行った。おいしかった。

2008年4月10日 (木)

母来襲

実はこの春、母親とその姉妹を、京都へ招待していた。
さてはて、どうやって「誤魔化すか^^;」

どうにか痛みは手懐けてはいたが、それでも不安があった。
いつ、あの激痛がやってくるか、、、しかし、どうにかこうにか、誤魔化すことが出来た。

後は、つい、酒が入って、気がゆるんで、そのことを言ってしまったら、どうしたものか。
場が一気にしらける。それだけはしたくない。

だから慎重に、慎重に、酒を飲んで楽しんだ。

4月10日木曜日のことである。

2008年4月 9日 (水)

迫り来る時間・・・未来

メモ引用

欲望があるから 2008/04/09 20:46

欲望があるから

だから先が見えない
本当なら恐怖である未来に、欲望で空想を描き
進んでいける

欲望があるからこそ

明日がある。
明日には痛みが消えるかもしれない。

理論的に考えたら、可能性としては低いのかもしれないが、でも、もしかしたら、寝て次の日、痛みが消えてるかもしれない。
それは勝手な予想で、理論的ではない。
しかし、そんな欲望がないと、欲望で明日を思い描かないと、やっていけない。

だって、なにも見えない、何が起こるかも分からない「未来」が、何をしても必ず、やってくるのだから。

2008年4月 8日 (火)

痛みと決闘

毎日毎日、朝起きては「治ったかな?」
で治ってなくて、いい加減、痛さに負けようとしていた。
「今日、仕事、休んじゃおうかな?」「こんな痛かったら、仕事にもならないしな」と。

痛みも二種類あった。
常にジンジンとシビレた痛み・・・正座の後のシビレの強いような、力の入らない痛み。
それともう一つ、ときおり襲ってくる激痛。
まるでプラスドライバーを腕に突っ込まれて、ギリギリギリギリと押し込まれるような。

この激痛が襲ってくると、左腕が独りでにビクンビクンと跳ね回る。
それを、必死になって、右手で押さえる。しかし、左腕は、ものともせず、暴れ回る。
抗うことが出来ない痛み。これは非常に辛い。しかも心的に追い込まれていく。

しかも「今の痛みが、オレの本当の実力だと・・・思うなよ。まだまだ序の口だぜ」^^;的な。

これまで「激痛」と思ってたのが、前菜のような、そんな新たな凶悪な痛みも、時折、顔を覗かせ始める。

ホトホトまいった。怖くなった。辛くなった。

もしかして、この病気で、仕事を辞めることになるのかもなぁ~、と、漠然と思った。

それでも、なんとか仕事には行く。

「笑顔でいれたら、いいなぁ」
「下手に、痛いってアピールするんじゃなくて、きちんと自分のやるべきことをやっていけて、一日経てたら、それで夜、床に入れたら、いいなぁ」と。

痛さもあったが、仕事をすることで、痛さと戦って、なんとか、勝てている、気がした。
また、そうやって仕事をすると、ある一瞬、痛みを忘れることもあった。

よし、どうにか、今日も勝てたな。って、一日一日が戦いだった。

2008年4月 6日 (日)

~ためなら鬼となる♪

メモ引用

鬼となる 4月6日2008/04/06 22:50

痛さに勝つためには
鬼となる

負けないように鬼となる

日曜日も更けてきた。どうやら痛みは消え去りそうもない。
「痛さと共存する」かたちで折り合いをつけようと思いつつも、「痛さ」の休み無き攻撃に勝つためには、こちらも「鬼」にならないと・・・と思ったりしてる。

もしかして、昔、鬼と呼ばれてた物は、やはり虐げられたからこそ、鬼になったのか。
ここ辺り上原正三の「300年間の復習」やら劇団新☆感線の「アテルイ」を考えてみる。

繰り返す痛み

その日も痛みは繰り返し襲ってきた。
時折、ひっ!と言いたくなる痛み。
6日は日曜日なので、思う存分、痛さに転げ回れた。一人で部屋にいたから。

メモ引用

最初は誰でも… 4月6日2008/04/06 15:07

最初は誰でも「やっていける」
麻薬なんて使わなくてもコントロール出来る。それがプライドだと思える。

しかしその「思い・決意」は自覚的に繰り返さないと、スグに忘れてしまう

が、痛みは常に、そこにいる。
しかも時には「予想・想定以上」の激しい痛みが襲う

よって、心が折れる。
さらに折れたという「現実」が、自分の切っ先が自分を刺す

自分はダメな人間だ と思う

これを克服しようとして
ある人は『他人に依存』してしまうし
またある人は『ずっと自分と向き合いっぱなし』になる。

自分とずっと向き合いっぱなしだと、そらせないから隠に隠り易くなり

他人を当てにすると、自分を見つめられない。

バランスの問題か?
自己を見つめつつ、他人と係わる

痛みとの向き合い方を考えつつ、今は「麻薬」を使わぬとも、痛みを克服できる、と思っている。しかし、これが永遠に続くと、それでも「痛みと友に」なんて思えるのか?と。 結局、オレはまだスタート位置でしか、物をみれてないなぁと。

そして、心が折れたとき、他人に依存するのか、自分に依存するのか、どうなのか?と考えてみていた。


メモ引用

向き合う 4月6日2008/04/06 15:35

本当に向き合わないと
明るい希望は

見い出せない

本当の現実に向き合わないと、本当の希望は見いだせないなぁ。

そして思う。引きこもる世界とは、こういうことなのか。
そういえば、今にして思えば、オレも引きこもってた時期があったなぁと。

メモ引用

引きこもりと本当の世界 4月6日2008/04/06 16:08

自分が作った世界は楽だがつまらない
他人との世界は
自由にはならないが
面白い

自分だけの世界は、なんでも自分の思い通りだが、触発される、発展する、おもしろさがない。
他人との世界は、自分の思い通りにはならないが、だからこそ、予想外の展開があり、おもしろいんだよな。と。

失う恐怖

日曜日、あの引っ越しから一週間。

恐る恐る目覚める。
ん?痛みは?どうだ?消えたか?終わったか?

毎朝、どきどきしながら目覚める。これで消えていたら、ミッション完了だ。
すっきり前の日常に戻るわけだ。
そして今回の経験は「あ、また良い経験をしたな」と昔話に出来るのだ。

が、目が覚め、頭が覚め、体中がだんだんと覚醒していくと、ともに痛みも覚醒していく。
「あ~あ、やっぱりまだ痛いか」と。

そして思う。失った健康を。
たった1週間前まで、それは手の内にあった健康を。
もうオレには、あの全てにおいて自由な、痛みのない日々は来ないのか

失う恐怖 今まで出来ていたものが出来なくなる、その恐怖

メモ引用

ボケていく恐怖 失っていく恐怖 2008/04/06 15:13

老人の恐怖とは、こういうことなのか。
しかし、自身が「失っていく」という感覚もなく、失っていったら、更に怖いなぁ

メモ引用 2008/04/06 15:13

でも、もしかしたら、今日は出来なくても、明日は出来るようになるかもしれない。

明日よりも明後日うまくできるようになるかもしれない。
それが希望である。

そう思わないと、人は生きていけない。

タイトル変更 リミット2週間

ついに迎えた週末だ。4月5日土曜日。

たしかここ辺りでタイトルを「〆切人生」へと変えたと思う。
まぁともかくも2週間だ。2週間待って、その間に痛みが消えたら、それで終わりだ。
消えて欲しい。消えて欲しい。消えないと「後縦靱帯骨化症」になってしまう。消えろ!


ってとこで、タイトルだけ変えた。
で、ブログにはアップしないが、思いをメモにしてた。

メモ引用

笑顔の訳は 2008/04/06 0:22

傷を負い、常に痛みを感じながら、それでも、
自分で他人に『笑顔』を向けることが出来れば
それは自信になり
力になる。
だから頑張っていける。
だから他人は大切。
ありがたい

土曜日の夜中、日曜日の零時過ぎ
痛みを持ちつつも、それを乗り越えれたら、痛みながらもヤケにならずに生きていけたら、痛みと共存できたら、自分としては気持ちよく生きてけるなぁと。
一人だけだと、絶対、ヤケになるだろうなぁと。だから他人はありがたいなぁと。
こうやって行けたらいいなぁという願い



メモ引用

受け入れるのか、望むのか 2008/04/06 0:31

現実を受け入れるのか
(この腕の痛みと、付き合っていこう。友達になっていこう)

希望を 望むのか
(絶対、治る。元に戻る)

と、思う 祈るのか

どちらが正しいのだろう

ずっと痛みが消えなかったら・・・この痛みと、ある程度の妥協点を見つけ、痛みとともに生きていくのか
それとも「痛みは消え去る」と夢をみて希望を望むのか。
どっちが良いのかなぁ~と問い続けてた。

そんなことを考えながら、床に入ったと思う。それにしても痛い。痛い。痛い。

2008年4月 4日 (金)

一献

ということで、いっこうに薬が効かなく、痛みと格闘しながら週末金曜日6日になった。

痛みが消えることを期待して、薬増大へと画策したが、それも叶わず、リハビリでお茶を濁した。

ともかくも、惨憺たる一週間だった。

日曜出勤から始まり、痛さに転げ回り、初通院で

(といっても、形成外科が初通院ね。総合病院で、ここの心臓外科で前回の手術をしたのであって、そういうカルテも残ってるからこそ、安心して、そこの形成外科に来た)

恐ろしい病名を聞き、ご褒美にお薬もらい、しかし効かない。から、更にもらいに行ったら・・・

ふう、本当に大変な一週間だった。そして、来週には母親たちが京都の花見にやってくる。大変だなぁ~

そんな週末。
で、この一週間、お酒は飲んでいなかった。
それは最初の痛みが、飲んだ次の日に襲ってきたわけで、トラウマっていうと言い過ぎか、まぁそんなのもあって、お酒を飲んでなかったのだ。

けど、ちと疲れたな。ホントにこの一週間は疲れたな。
ってことで瓶ビールの中瓶を、恐る恐るも1本だけ飲むことにした。
もしかして痛さが倍増するのでは?
とんでもないことになるのでわ?と、とっても怖かったが、
  「酔い」のあの、ふっと気持ちが軽くなるのを味わいたかった。

恐る恐るも、味わいつつ飲んでみた。ら、おいしかった。

行くも行かぬも・・・

人は時を重ねて変化・変容していく。

2日の初通院で「こうじゅうじんたいこっかしょう」という名を聞き、
そしてそれが
難病である「後縦靱帯骨化症」であることを知ったオレは、

それでも医者の
「ともかく2週間見てみましょう。もし治ったら、それはそれで良いですので」
という言葉にすがることにした。

そう、まだ「可能性」の段階である。
まだ決定ではない。
その「おそれ」があるだけで、ただの寝違えかもしれない。

ともかく「死とは違うにおい」を感じつつも、
一方で楽観的に「違うかもな」と思っていた。思いたかった。


それでも、なにかしら気持ちが変わった気がした。

昨日までの(4月1日)自分とは違った気がした。世界が違って見えた。

「後縦靱帯骨化症」ではない・・・と思い込みたい一方で「もしかして、前回の手術は、今回のために、あったのでは?」とも思ったり

とにかく、痛み止めの薬をもらって飲むことになった。
しかし、全然、効かなかった。ずっと痛いままだ。痛みは激しくなるばかり。全然、薬が効かない。

それで初通院から2日後、6日(金)また通院した。

その時の話
オラ「全然、薬が効きません」(もっと強い薬をもらいたい。そして痛みを取りたい)
先生「そうですかー」と言ってカルテを見る。この先生は2日前とは違う先生。

オラ「他の薬は無いですかね?増やすとか・・・」
先生「うーん。けっこう強い薬ですしねぇ。そうスグに効くものでもなくて・・・」

ここでオレはまたプチショックだった。そうか、かなり強い薬なのか。

先生「じゃあ、牽引してみましょうか。リハビリ」
オラ「? ・・・・・・え?治るんですか?」
先生「治るかもしれませんね。治らないかもしれない。余計に痛くなるかもしれませんね。ともかくやってみないと分かりません。痛みが増したら、やめてください」

ということでリハビリをしてみた。

電熱を首辺りの痛みのところに当ててポカポカさせるのと、首を真上に引っ張る器具。重さは8kgで。

一通りやってみた。何の変化もない。
ホントにこんなことで治るのかしら?と思いつつも、周りの他の人、リハビリをしてる人たちを見て「この人たちも、痛さを持ってるんだなぁ」と思った。

一見すると普通の人だが、なにかしら、痛みを持ってるんだなぁ~と。

痛みは、他人には分からないもんなんだなぁ~と感じた。

痛みだけでなく、人の思いってのは、他人には、伝わらないんだなぁ~と。

表現しないと、伝わらないんだぁ~なんて思いつつリハビリを終了させた。

2008年4月 3日 (木)

共感する心

さて、2日に通院して「可能性のある病名」を聞き、それを3日の出勤で話した。
前日、早引けしてるせいもあり、そりゃ話さないといけないのだ。

で、分かりやすく「脊髄と首の骨の間の普通は柔らかい部分が堅くなって・・・」というと、だれもが「ああ、後縦靱帯骨化症!」と言った。驚いた!

さすがと言えば流石だが、やはり福祉関係の仕事してると、知ってるもんなんだなぁ。

しかもその内の一人は、先日、その病気を調べたばっかり。

私が前夜、インターネットでむさぼり読んだサイトそのものを、印刷して、手元に置いてあった。

で、私のチームの2人は、その病気を知っているからこそ
「定期的に見せに行かないと」
「首に無理な動きはしないように」と、非常に理論的なことを言ってくれた。

が、一人だけ、そんな病名もしらない若い子がいた。
で、印刷物を読み、ガッカリと落ち込んでた。

だもんで、こっちの方が気を遣い

「いや、あの、さ、まだ、決まった訳じゃないし・・・」

「・・・・・・・・・」

「まぁ、だからさ、うーん、ほら、オレ、でも、思った。良い障害者になって、ヘルパーさんに、本心から『ありがとう!』って言って、ヘルパーさんのやる気を引き出す、ヘルパーさんが、ヘルパーやっててよかった!と思ってくれる、そんな良い、利用者になるって、思ってさ・・・へへへ」なんて、ついつい言った。

すると「そ、そうですね。そのときは私が担当します」と、言った。

言葉はそれだけ。

でも、ちょいと涙目で、でも無理して笑おうとしてた。

じーんと来た。
なんで病気持ちが気を遣って、健常者を励まさねばならんねん!と思ったが、
その「ちょい涙目で、でも無理して笑う」思いに、ちと感動した。

ただただ話を聞いて、んで、泣いてくれた・・・だけなのだが、それがエラく心にしみた。

2008年4月 2日 (水)

本当のにおい

死とは別のにおい で、歪んでいく自分が怖い。と、書きたかった。

しかし、実際に書いてみて「なんとなく、理論が貧弱だな」と思った。
私の心の中に芽生えた「本当のおそれ」は、そんな理論立ったものではない。そんな気がした。

で、よくよくよくよく考えてみた。

たら、分かった。単純なことだ。

答えは、本当のにおいは、↓こんな、においだ。

今日まで、自由に暮らしてきた。自由に 行きたい所へ 行きたい時間 行きたいように 行っていた。

それが出来なくなる。自由が奪われる。もう、これまでのように出来ない。

それが、とてもとても、恐ろしいのだ。
怖いのだ。

それが心の、本当の思いだ。本当の、迫りくる「におい」だ。

そのことが「死とは別のにおい」を書くことで、自分自身で認識できた。

ならば、「死とは別のにおい」を消しちゃって、改稿して載せればいいが、それでは、駄目なままだと思うので、恥ずかしながら、このまま載せて、心情を吐露する。

2008年6月19日午前0時51分

死とは別のにおい 完全版

「健全な精神は健全な肉体に宿る」

言い換えれば、不健全な肉体になると、精神も不健全になっていくのだろうな。

少し、ずれるかもしれないが、以下の格言

衣食足りて礼節を知る
貧すれば鈍す

衣食住が足りてこそ、人は礼節を知り、貧しくなれば鈍してしまう

これは非常に実感がある。
前回の心臓手術の後、約1年ほどは養生して、さて2年目くらいから、仕事を見つけ始めた。
が、これがなかなか見つからない。何度も何度も職安に行く。
しかし見つからない。やっと見つかった!
で、面接に行く!と落ちる。そしてまた振り出しへ。

見つける! 見つける!見つからない! やっと見つかった!面接で落ちる!
この繰り返しであった。

かなり疲弊した。
心が歪んでいった。嫉みが生まれた。
自分に対して、そして社会に対して。

自分が「この世にはいらない存在」だと思い、自身を蔑む。
そして、自分を追い出した「世間」に対して、迫害された者としての怨みを抱く。
今から思い返せば、かなり「おかしく」なっていた。

今でこそ、衣食が足りている。
からこそ「それなり」の礼節を知っている。
礼節を知っているからこそ、衣食が足りるくらいの「仕事」を続けることが出来る。
貧してないからこそ、今は鈍ではない。しかし、以前は「鈍」であった。

そう、健全な立場から、正論を言うのは簡単だ。
しかし「足りなく」なり、「貧」すれば、それは簡単に崩壊するのだ。その事実を、この身で知っている。

そして今、オレは
「症状が重度になると、日常生活にかなり障害がでてきます。介助を要することもあります。」病気になってしまった。

一度たりとも「貧」した経験をもつ私としては『失った後も』礼節を持ち続けることが出来るか、、出来ないだろう・・・と思った。

今まで「衣食足りて礼節を知る」五体満足だったからこそ、障害者に対して「もっとヘルパーに感謝の念を持って」と、心の中で批判出来てた。

障害者に対して、もっと大局を見て、自分の立ち位置を考えて、その上で、援助してくれる人に対して、もっと愛をもって接しても良いじゃないか、と、心の中で思ってきた。

しかし、もし、自分がその立場に立たされた時、果たして自分は、それでもなお「失った上で」

  その気持ちでいれるのか。

一度、辛酸をなめた者としては、絶対に無理だなと思った。

だから

さて、今回も、、怖なった。
しかし、それはいつもの怖さとはちと違った。なんとも言えない『敗北感』……敗北感なんていうと、非常に問題があるのだが、そんな感じがした。
違う言い方を考えてみると…脱落感。

「死」は、怖くなかった。日程に上らなければ。しかし・・・
障害者・・・いわゆる「寝たきりの障害者」になるのが怖かった。

それが、今まさに私の近くに漂い始めた「死とは別のにおい」であった。


「失う」怖さを、少しではあるが知っている私としては、無理難題を言って、尊大に振る舞い、我が儘をいう「障害者」を一方的に非難出来なくなった。
本当に、少しではあるが、彼らの「たどってきた道」と「心のありよう」が、私の未来として、透けて見えたからであった。

それが「死とは別のにおい」の正体である。

・・・肉体に宿る・・・

いや実はオレはすでに障害者1級なんですよね(ランクで言えばトップ^^;)
内部障害で心臓出してるから、Aクラスなんす。
けど、ぱっと見、分からない。足が不自由でも手が麻痺してるわけでもなく、話しても「オタク」な感じがするだけで、まぁ普通っちゃー普通なのだ。

しかし、今回の病気「後縦靱帯骨化症」で、悪くなると


重症になると排尿や排便の障害や一人での日常生活が困難となる状態にもなります。

なのである。


「死」は、怖くなかった。日程に上らなければ。しかし・・・
障害者・・・いわゆる「寝たきりの障害者」になるのが怖かった。

それが、今まさに私の近くに漂い始めた「死とは別のにおい」であった。

「今度は、私は日常生活が困難な障害者になる」
この病気が進行していった結果、行き着く事実が「障害者」である。

嫌っていた「障害者」へ、私が「なる」のである。

・・・健全な・・・

2日の日、初めて後縦靱帯骨化症である。と言われた。
そんな「戒名」がつくと、ただの「首の痛み・腕の痛み」が、ガゼン「難病」になってしまう。

病院の帰り道、3インチの携帯液晶で「後縦靱帯骨化症」を、むさぼり読む。
読みつつ、「あ、もしかして前回の心臓の手術の方が前段で、今回のが本番だったのか?」とかが頭を過ぎる。

そして、非常に気になる文面へ

症状が重度になると、日常生活にかなり障害がでてきます。介助を要することもあります。一般に脊髄神経症状は慢性進行性です。また軽微な外力で四肢麻痺になることがありますのでその存在を知っておく必要があります。


難病情報センター|後縦靭帯骨化症(OPLL) 特定疾患情報

これを見て、こう思う。

さて、今回も、、怖なった。 しかし、それはいつもの怖さとはちと違った。なんとも言えない『敗北感』……敗北感なんていうと、非常に問題があるのだが、そんな感じがした。 違う言い方を考えてみると…脱落感。 「死」は、怖くなかった。日程に上らなければ。しかし・・・

その次のセリフはこうだ。

私は、寝たきりの障害者になる、のが怖かった。

健全な精神は・・・

さて、最初にお断り申し上げます。
これから非常に問題のあることを書きます。
これはあくまで私自身の経験から私が思うことであって、それは私のとらえ方であって、自分自身、間違った見方であると感じています。
そして、その「間違った見方」は、ひとえに私の不勉強のせいだと思います。

なのに今から、その「間違った見方」を書きます。そのことに対して最初にお詫びします。

なら、書かなければいい、んですが、今の私は、どうしても書きたいのです。本当にアホですね。
みなさん、私の見識の浅さを、お笑いください。そしてお許しください。


現在、ヘルパー事務所に勤めている。
よって「お年寄り」へのヘルパー派遣もあるが、もう一つ「障害者」への派遣も、ある。

年寄りの我が儘さにも困るが、障害者の我が儘ぶりにも困ってしまう。

やれ「便がしたい」から「今からスグ来てくれ」
「漏らした」から「すぐに来い」
介護してるヘルパーに対して「そこは痛い!バカ!痛い!」と罵倒
自分勝手に行動し、周りが「自分の思い通り」にならないと、他人(ヘルパー)に辺り散らかす。
んで少しでも気に入らないヘルパーがいたら、人権を汚すような言葉を投げつけ、勝手な理由をつけて、違うヘルパーへと変えさせる。

介護されることを「当然」と思っていて・・・いや、当然の権利ですね。当然あるべき、権利です。
ですが、「当然の権利」ならば、それを行ってくれるヘルパーを「粗末に扱って」良いのか?って問題は、また別だと思います。そこに「感謝の念」があっても、良いと思うのです。

障害者には当然の権利なので、それを行使する。それは問題ない。
でも「尊大に振る舞ってよい」なんてことは、ないと思います。
いくら、思い通りにならないからって。

更に言えば「そんなに手間がかかるのならば、施設で24時間対応のところに入る」のも道の一つだと思うのです。しかし、多くの障害者は「自宅での生活」を願い、選びます。

それを成り立たせるためには「ヘルパー」という支えがどうしても必要です。

なのに、その支えであるヘルパーを粗末に扱うなんて、私から言わせれば、了見の狭い人間にしか見えません。
自己の感情を抑えられずに、一番の支えに当たり散らかすなんて。

(さらに一言、言及すれば「施設」ってのは、そんなに悪いとこなのか?実際、体験した上で、言っているのか?ただの噂や想像で語っているのではないのか?
自由が奪われる?本当なのか?
体験もせずに、そう言い切ってしまうって言うのは、どうなのか?
結果的に、自身にとっても損ではないか?)

もちろん、気持ちのいい障害者もいるでしょう。
しかし、ヘルパーにあたる障害者も、現実に多く存在します。

私はそのとき、こう感じます。
体もだが、そこへ繋がった「心が歪んでいる」と。

医者へ行く

ということで、4月2日、夕方からいつも行ってる総合病院の、形成外科へ初めて行く


2008年4月20日 (日)
第二章へのプロローグ

目の前の白衣の人からこういわれた
『まだ、手術の段階ではないです』

おれ「ん?手術??」


痛いなぁ~痛いなぁ~と思ってて
ただ、シビレルだけなら何とか出来るが、たまにそのシビレの上に、ズキズキと痛みが走る。これが左腕の肘やら肩やら…プラスドライバーを突き立ててギリギリされてる感じ。
首の筋の痛みも、いつもなら2,3日で治まるのに、いっこうに収まらない。

そんなこんなで、さすがに辛くなって…ってか痛さに我慢できなくなり、ついに4月新年度なのにしょっぱなから会社を早引けして、病院へ行った。

『いわゆる、首の後ろ、脊髄と首の骨の間に、普通なら軟骨より柔らかい物があるんですがそれが、堅くなって、神経…脊髄を触ってる可能性があります』

「それって直るんですか?」

『うーん、まだわかりません。とりあえず無理な動かし方はやめて、お薬処方しておきますから、飲み続けてください』

「はあ」

『二週間分、出しておきますから。で、その間に痛みが治まったら、それはそれで良いと思いますので』

「治るってことですか?」

『ともかく 二週間 ですね。痛みが治まったら、こなくてもいいですから』

「はい……」

診察室を出て行こうとする俺

「あ、ありがとうございました。……ところで、病名的には、なんていうんですか?」

『こうじゅうじんたいこっかしょう といいます』

「こうじゅうじんたいこっかしょう…ですか」

○待合室
おれ、診察室から、そそくさと出ると、すぐさま尻ポッケにいつも入れてるメモ帳を取り出す。
そして走り書きする。
「こうじゅうじんたいこっかしょう」

そして、病院内なので、電源を切っていた携帯を取りだし、電源を入れる。

「はやく、立ち上がれよ!」

どうにか起動した携帯に、すばやく、丁寧に、うちこむ「こうじゅうじんたいこっかしょう」と。

さてはて「こうじゅうじんたいこっかしょう」とは

リンク越しに出てきた「後縦靱帯骨化症」という文字に、また、その前に出てきた文字に、少し目眩を覚えた。

それが4月2日


そんで思ったことは

2008年4月21日 (月) 死とは別のにおい

とにかく書いてみる。

一番最初に「難病」ってのを読んだとき、すこしおかしくなった。クククと笑ってしまった。

『いやはや、本当に世話の焼ける体だ。やっぱり、この体は、世の中に出てくるだけで精一杯だったんかしら?そりゃ仕方ないよなぁ』

実は誕生前から、なにかと順風満帆なことはなかった。私の前はダメで、私の番になったのだが、それもまたダメっぽかったそうだ。
が、そのとき、さることが起こり、一方が消え、私が出ることになった。(ま、ここ辺りはまた別の話)

そして心臓の…毛を剃る…手術^^;

近頃、どうにか「健康でお酒がおいしい日々」を暮らしつつ、昨年頭から「シナリオ書けてないなぁ」状態で
でも、なにかと人生において「やっと、物事が分かり」かけてきたこの頃。

『またもや死に近づいたなぁ。そういや、ちょうど一年前も、検査に引っかかって、再検査を続けて、死に近づいたなぁ』

「死」については、ちょくちょく考える。
一度、毛を剃る手術なんてしてると「死」ってのが身近で、リアルで、だもんで、たぶん、普通の人に比べたら、そう怖くない。
一度、その淵から覗き込んだことがある。だから、漠然とだが「死とは、なんなのか」が、未経験者よりは、分かっているつもり。

しかし、ちょいちょい1年ごとに「再検査」やら「原因不明の高熱」などが起き、日々の日程の中で、このままだと「死」かしら?  ってことになると、急に怖くなる。
まだそこの底まで^^;降りたことがないからだ。(片道キップだしね)

さて、今回も、、怖なった。
しかし、それはいつもの怖さとはちと違った。なんとも言えない『敗北感』……敗北感なんていうと、非常に問題があるのだが、そんな感じがした。
違う言い方を考えてみると…脱落感。

それは、後縦靱帯骨化症の説明の、以下の文章からだった。


>症状が重度になると、日常生活にかなり障害がでてきます。
>介助を要することもあります。一般に脊髄神経症状は慢性進行性です。
>また軽微な外力で四肢麻痺になることがありますのでその存在を知っておく必要があります。

>難病情報センター|後縦靭帯骨化症(OPLL) 特定疾患情報

「死」は、怖くなかった。日程に上らなければ。しかし・・・

 つづく

「死とは別のにおい」の最後で
『「死」は、怖くなかった。日程に上らなければ。しかし・・・』
で終わってまして、その後を結局、書いてませんね。

で、これから書きます。

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