« バッテリは消耗品 | トップページ | マイクロソフト的技術力とアップル的発想力 »

2006年3月 8日 (水)

ウルトラ『兄弟』の時代

今度のウルトラマンはウルトラ兄弟が復活…

で、ふと思う。
ウルトラ『兄弟』という設定が『恰好な時代』が昭和の最後辺りに…確実に、あったということを。

私は一人っ子だが、それでも近所の子供達…とよく遊んでいた。
当然、それは同学年でなく、バラバラの学年の子のグループだった。
正月やお盆になれば、田舎に行き、そこでまた親戚の子や近所の、やはり「同じ歳でない子」と、遊んでいた。

あの当時は、同学年でない子供の集団が、当たり前であった。
そして、そういう「違う歳の子供の集団」をみた大人達は、一様に「まるで『兄弟』みたいね」と言っていた。

また、私も何の疑問もなく年上は「○○兄ちゃん」、年下には「○○(呼び捨て)」で呼んでいた。

たしかに、昭和の最後の時期(まで)そういう集団は普通であった。
もちろん、本当の兄弟というのは、さらに「ありふれた存在」であった。

しかし、平成の時代になり、出生率が1,5人を切った(まだ?^^;)今の時代、「兄弟」というのは「まれな存在」になって来た。
更に言えば現代の子は「違う学年の子とは遊ばない」と言われている。嫌「遊ぶ時間も少なくなってきている」とも。
政府の地域キャンペーンでこういったものを展開する(大阪…つーか関西だけだったのね^^;)ようになった今、昭和末期のショッカーが暗躍する暗闇(昭和のピカレスクロマン)は完全に消えさってしまった。
気むずかしい隣のくそオヤジは消え、本物の狂気が闊歩しだす…現代…街の全てが変わり過ぎてしまった。

そんな社会の変容の中で、果たして「ウルトラマン」が『兄弟である』という意味があるのだろうか?

そう、たしかにあの頃は、ウルトラマンが兄弟である意味があった。しかし今の子には…

ほら、ウルトラマンも兄弟なんだよ!!タロウは末っ子でセブンとマンはお兄ちゃん、ゾフィが一番上!
…的な、ワクワク感…憧れの混じった連帯感…を現代の子供達は持ち得るのか?

« バッテリは消耗品 | トップページ | マイクロソフト的技術力とアップル的発想力 »

「ウルトラマン」カテゴリの記事

「エンタメ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/92347/1531525

この記事へのトラックバック一覧です: ウルトラ『兄弟』の時代:

« バッテリは消耗品 | トップページ | マイクロソフト的技術力とアップル的発想力 »

つぶやきとパシャリ

  • ついったー
  • ふりっかー
    www.flickr.com
    This is a Flickr badge showing public photos and videos from hebonjin. Make your own badge here.

かんげき!

  • かんげき!
    みんなで作るみんなで楽しむ演劇クチコミサイト、演劇ライフ
2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ